インタビュー:現代文読解の神様・藤田修一さん(上)――70歳で再開したカメラ
写真家の藤田修一さんは昨年『原宿狂詩曲』という写真集を出した。東京・原宿に集まる若者たちのまぶしい青春の瞬間瞬間をすくい上げるように撮った写真集である。
ここで、藤田修一という名前を見て、「もしかして、あの藤田先生?!」と思った人は多いだろう。そう。あの藤田師である。
「イイタイコトは繰り返される。繰り返されるのがイイタイコト」「A⇔B」「A=A’」「他を見て己を知る」――。
駿台予備学校で現代文を教えた藤田さんは、大学入試現代文に記号読解という独自の方法論を編み出したことで知られる。『現代文要説』や『現代文入門』、『鑑賞昭和文学』、『必修漢字1200選』などのお世話になった人は少なくない。こんにち予備校で現代文を教える講師たちの大半が多かれ少なかれ藤田さんの読解法を受け継いでいる。現代文読解の神様とも言うべき存在なのだ。
いかに生きるべきか
駿台の教壇では、人生を、愛を、青春を、生き方を、優しく、熱く、静かに、時には情念をこめて生徒に語りかけた。
「陸軍の軍医として大成した森鴎外は、自分の墓には『森林太郎の墓』以外は記してはならないと遺言した」
文豪の実像を通して、いかに生きるべきかを生徒は感じ取った。
「森鴎外は、机に向かって小説を書き、眠くなると机に突っ伏して寝た。これなら長くは眠れない。起きてまた原稿用紙に向かったんだ」
努力することの大切さを生徒は感じ取った。
『セメント樽の中の手紙』を素材にした講義で、「へべれけに酔っ払いてえなぁ」と情感を込めて読み上げ、「『てえなぁ』ということは、酔っ払っていないということだね」。
この『セメント樽の中の手紙』は駿台の現代文テキストや『鑑賞昭和文学』などに登場している。藤田さんがこのプロレタリア文学を通して伝えたかった人生に横たわる理不尽やどうしようもないやりきれなさの存在を生徒は感じ取った。
「出会いのころはみずみずしい感情を抱き続けることができた。あの愛の持続を、あの恋の永遠を、みんな希求する。喪失するからです」
『鑑賞昭和文学』で藤田さんが紹介した三島由紀夫の「憂国」は死を前にした愛の話である。こうした講義や小説を通して、愛にさえ有限性が内包されていることを生徒は感じ取った。
名講義は受験生の若い魂を揺さぶり、圧倒的支持を集めた。
その藤田さんはいま81歳である。
魅力ある被写体は「ひと」
慶應病院に行くと「藤田先生」と教え子だった医師から声をかけられ、旅行に行くと「藤田先生」とまたまた声をかけられる。予備校講師を引退した今でも、大勢の教え子たちに慕われ、尊敬されている藤田さんは、写真家として活躍しているのだった。
藤田さんがカメラを手にしたのは幼少期だった。しかし、その後は勉学や仕事に追われてカメラに触れる時間がなかった。カメラを再開しようと思ったのは、定年を5年後に控えた70歳の時だった。退職後に東京工芸大芸術別科写真技術専修課程を修了するほどの取り組みようだ。
現代文読解には繊細な感覚が求められる。藤田さんは撮影でも繊細な感覚を駆使した。国際写真サロンやキヤノンフォトコンテスト、JPS展、フォトシティさがみはらなどのコンテストで相次いで入賞を果たしているのが何よりの証拠である。
週末、一眼レフカメラと中望遠レンズなど2キロほどの機材を担いで歩き回る。魅力ある被写体にレンズを向ける。魅力ある被写体は、藤田さんにとって「ひと」だけである。(AANウェブ編集部・西野浩史)
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