第Ⅳ章 美の呪縛(1)「美の呪縛」「あらすじ」「美のヒエラルキー」
美の呪縛
映画「ヘルタースケルター」を観た時は、目から鱗の思いだった。
数年前、封切られた当時は、沢尻エリカがどこまで脱ぐかが話題だったが、僕の見方は全く違っていた。
永年美容外科に携わっていながら、目だの鼻だのという患者の表向きの注文にだけあくせく応えて、彼女らがその背後に抱える諸々の悩みに思いを致すことがなかったという自責の念である。
あらすじ
主人公のりりこは、平凡な、どちらかというとブスであった。
彼女は、美人になれば皆に認められ、全てが手に入ると思い込んでいた。その救いを美容外科に求め、体のあらゆる部分を改造していった。ただ「アソコ」は除いて。
そして、美人になりモデルとなったりりこは、瞬く間に上り詰めていき、ついには絶頂を極めるようになった。メディアで見ない日はないと言われるほど、彼女は人気を集めるようになっていたのである。
だがある時、鏡を見て愕然となる。額に痣が出ているのだ。これは若返りのための「再生医療」の後遺症である。そこに若い、整形をしていない天然美人のライバルが現れて、危機感を持つようになる。そしてまた、本当は財閥の御曹司の玉の輿に乗るはずだったのだが、裏切られてしまう。ずいぶん勝手な台詞ですけれども、男はそういうものかもしれませんね。そして「整形美人」の正体もすっぱ抜かれて、新聞沙汰になりマスコミに追いかけられて破局を迎える。
美のヒエラルキー
この中心課題は、蜷川監督の「原体験」のようで、彼女はそれを「美のヒエラルキー」という言葉で括っている。
女の子の場合、生まれてすぐから一生にかけて、女は美しくなければ価値がないと脅され、刷り込まれる。
彼女は言う。「妹の方が容姿が良かったのだ。だから父親はそっちを贔屓にしていた。」と。それが本当かどうかは分からないが、少なくとも彼女はそう思っていた。そして、女の子ならば誰しもがその不公平を体験して、自分の中にりりこを抱えるようになる。
蜷川の描くりりこはグロテスクであるけれども、美容外科を望む患者は全て多かれ少なかれ、このようなコンプレックスを背後に背負っているのではなかろうか。 りりこには妹がおり、やはり自分と同じように不細工である。そんな妹が姉に憧れて上京し、二人で話し合う場面がある。
ここで、僕は改めて男の子と女の子の世界はこれほど違うかと思い知らされた。
今思い出すとうちの女の孫も、2つ3つのまだ何にも分からない頃に、周りが何か教える前に、鏡の前で「私、きれい?」みたいなことをやり、玩具も「鏡や化粧道具一式」に飛びついたものである。その頃同じ年頃の男の孫たちは、車や戦車のプラモデルに夢中になる。これは生まれてからの刷り込みというよりは、本当にDNAが違うのだと5人の子供と10人の孫を見てつくづくそう思わされた。
それだけではない。
子供達が幼い頃、お手伝いをしてくれるにしても、かわいい子の方をかわいがると配偶者は言っていたのを思い出す。これも人情で、しょうがないといえばしょうがない。心理学者たちもことの善し悪しは別として、現実はやはりそういうものと認めているようである。
小学校でもやはり先生の依怙贔屓はないわけではない。好き嫌いで依怙贔屓をするというのは、人間だからやむを得ないにしても、アメリカの社会心理学者たちは、成績にまで影響が出ると問題にしている。
○×式の問題ではなく、主観の入るような採点だとやっぱりかわいい子の方が得をするという研究もある。
太平洋戦争のはるか前、日本が中国を侵略し始めたころに先陣を切って戦死した加納部隊長という将校が、日本中でヒーローに仕立て上げられたことがある。僕はこの息子と小学校6年間ずっと同級だった。彼はルックスも性格もいいので、それだけで充分評価されていいのだが、何かにつけて加納部隊長の子だということで持ち上げられていた。我々にとってもそれが当たり前で、そのためにどうこうというのはなかったが、女の子の世界だけではなく男の子の世界でも、多少は容姿で損得があったなと、今思い出す。
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塩谷 信幸(しおや・のぶゆき) アンチエイジングネットワーク理事長、北里大学名誉教授、 ウィメンズヘルスクリニック東京名誉院長、創傷治癒センター理事長 現在、北里研究所病院美容医学センター、医療法人社団ウェルエイジングAACクリニック銀座において診療・研究に従事しているほか、日本形成外科学会名誉会員、日本美容外科学会名誉会員として形成外科、美容外科の発展に尽力するかたわら特定非営利活動法人 アンチエイジングネットワーク理事長、日本抗加齢医学会顧問としてアンチエイジングの啓蒙活動を行っている。 【著書】 |
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