第Ⅶ章 秘すれば花~美とは~(6)「「若さ」=「美」か?」
「若さ」=「美」か?
人に花を贈るとき、例えばバラなら蕾の状態で、ちょうど贈った時に綺麗に咲くように贈る。萎れた花を贈る人はいないだろうし、送られた方も侮辱と取るのではなかろうか。
ということは、花の世界なら「若さ」=「美」、というのが当たり前なのである。人間の場合はどうか?
欧米の文化では老いは醜いものとされてきた。
デューラーはそのエッチングで、老醜をみごとに描き出している。
ジェロントというのは老。それからフォビアというのは、嫌悪である。それを結合した言葉が、「ジェロントフォビア」、つまり老醜嫌悪。
日本ではあまりジェロントフォビアの考えがなかったが、西洋では老人の差別化は当たり前であった。それをエイジズムと呼び、20世紀の半ばから改めようという風潮が生まれている。最近は日本の文化も変わっては来たが、日本の場合には、年をとってシワだらけになると柔和な顔になる、という言い方をして受け入れ、シワ伸ばしはとんでもないと言う向きもあった。
一つは日本人の場合、西洋人に比べて骨格が違う、つまり平面的であるということがプラスしている。西洋人の場合、彫が深いということがあだになり、そこに加齢による皮膚や脂肪の垂れが加わると、鬼婆の様相になりやすい。いま一つは日本人の場合、皮膚の結合組織がしっかりしていて厚いので、西洋人ほどシワやたるみが出来にくい。
シワ伸ばしの手術でも日本人の場合、だいたい耳の周りを切って顔の皮膚を剥がす際、ハサミで切らなくては剥がれないが、西洋人の場合は指でも剥がれていく、それほど結合組織が弱いので、垂れ易い。これで顔の老化の受け止め方の違いも生まれたのではなかろうか。
わが国ではよく形より心と言われるが、ミケランジェロ制作の聖母子像の一種であるピエタを思い起こしてほしい。キリストは殺された時33歳。だが我が子と抱きかかえるマリアは20歳の乙女にしか見えない。このようなことを、これほど写実的な彫刻でなぜ許させるのか。
バチカンというのは、精神の王国。「形より心」と建前論では言っているが、本音のところでやっぱりマリアは若くて美しくなくてはならない。しかも、「若さ」=「美」である。これが人間の本音である。
そういって僕は美容外科をしながら、自分自身を納得させてきた。だが本当に「若さ」=「美」と言い切れるだろうか。
例えばマザーテレサが、ぼくの所に来て“ちょっくらシワ伸ばしておくれ”と言われたとする。そんなことが起こるとしたら、恐らく皆さんも笑うだろうし、僕自身もありえないと思う。そして本当に来られたらがっかりするのでは。ということは、自分自身も形より心に縛られていることの証だ。
こうしてみると美しく老いるという事はどういうことなのか、また可能なのか?
これが今後の課題と言える。
>>>『WHY?Anti-Ageing』バックナンバーはこちら
塩谷 信幸(しおや・のぶゆき) アンチエイジングネットワーク理事長、北里大学名誉教授、 ウィメンズヘルスクリニック東京名誉院長、創傷治癒センター理事長 現在、北里研究所病院美容医学センター、医療法人社団ウェルエイジングAACクリニック銀座において診療・研究に従事しているほか、日本形成外科学会名誉会員、日本美容外科学会名誉会員として形成外科、美容外科の発展に尽力するかたわら特定非営利活動法人 アンチエイジングネットワーク理事長、日本抗加齢医学会顧問としてアンチエイジングの啓蒙活動を行っている。 【著書】 |
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