アンチエイジングニュース

「アンチエイジングの専門家がナビゲート」(ガイド:塩谷信幸)

外科医には定年が必要な理由。

 

アメリカで外科の研修中、夢中で読みふけった本があります。

”マスターサージャン”という題名で、ザウエルブルッフという20世紀初頭のドイツの外科教授の自伝です。本人が口述してライターがまとめたものでしたが、実に面白い。

ザウエルブルッフという外科医は、ベルリン大学の教授で飛ぶ鳥も落とす勢いでした。次々と新しい分野を開拓し、初めて開胸術といって胸をあけて肺の手術を行った人として、僕も学生時代からなじみのある名前でした。

例えば、ロスチャイルドの下腿潰瘍(静脈瘤による治りの悪い皮膚の傷)を治し、ドけちな富豪がいくらお支払いすればいいかと、支払いを渋ったので、
「あなたの足があなたにとってどれだけの価値があるか。それに値するだけお支払いください。」
と迫った話や、戦場で完全に切断された兵士の下肢をつないだ話など、すっかり信じ込んで感嘆したものです。

”信じ込んで”といったのは、それからしばらくして読んだ本が実はボケ老人としてのザウレルブルッフのドキュメンタリーだったのです。つまり、ザウエルブルッフは晩年すっかりボケて、この本もまったくのでたらめのほら話だったと、ドキュメンタリーの著者のトーワルドという人は書いていました。

考えてみれば、切断肢の再接着などは、1960年に入ってはじめて成功したので、ザウエルブルッフの頃はおろか、僕がその本を読んだ時でもまだ行われていなかったのですが...。実はそうとは知らず僕もやってみようとしてみんなに馬鹿にされやめてしまったのを、もったいないことをしたと後悔しています。あの時やっていれば、再接着の一番乗りができたのですから。

ところで本題はザウエルブルッフのボケです。

あるとき、彼は胃切除をしてつなぎ忘れてしまった。その頃、ドイツの医者の世界は今の日本と同様、教授は絶対だった。間違いをしても弟子は指摘できない。そして患者は死亡し、事件は闇に葬られたまま、彼はベルリン大学から追われます。

それにもかかわらず、彼の名声を慕って世界中から患者は集まってきます。その一人、アルゼンチンからの女性患者の甲状腺手術を家の台所で行って死亡させ、ついにことは表ざたになります。

著者のトーワルドは言います。
「ザウエルブルッフの過誤を暴くのがこの本の目的ではない。どんな優秀な外科医でも、華やかさはいつまでも続くわけではない。いずれ腕は落ち判断力が衰える時期がくる。そのことを自戒し、また周囲も心得るべきと言う警鐘を鳴らしたかったのだ。」
と。

65歳で北里大学の定年を迎えたとき、親しくしている朝日新聞の大熊女史にこの話をし、
「 だから外科医には定年が必要ですよ。」
と申し上げたら、女史いわく。
「先生、アメリカから帰られた30代のとき、なんとおっしゃったかお忘れ?”外科医のピークは40代。ま、50をすぎたら身をひくべき。”と言われたのを。」
「あ、それはあの頃は50代の老害がうようよしてましたので・・・」
 といささかしどろもどろの僕でした。

Written by 理事長 塩谷信幸

筆者の紹介

塩谷先生

塩谷 信幸(しおや のぶゆき)

NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長、北里大学名誉教授
東京大学医学部卒業。フルブライト留学生として渡米し、オルバニー大学で外科および形成外科の専門医資格を取得。帰国後、東京大学形成外科、横浜市立大学形成外科講師を経て、北里大学形成外科教授、同大学名誉教授。 現在、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療と研究に従事。日本形成外科学会名誉会員、日本美容外科学会名誉会員として形成外科、美容外科の発展の尽力するかたわら、NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長、日本抗加齢医学会顧問としてアンチエイジングの啓蒙活動を行なっている。

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