第Ⅴ章 商品としての美女(3)「20世紀」
20世紀
20世紀100年間の色々な推移を新たな視点で整理してみよう。
便宜上20年ごとに区切って縦軸とする。
そして横軸の一番目には時代背景を置く。これはその時の世界情勢である。
その次がその時代の代表的なアイコン。
それに伴ってファッションがどう変わったかが三番目のコラム。
もう一つ大事な事はアイコンを伝える媒体が変遷していっているということである。もちろん写真、映画、テレビというものがありますが、その中で女性誌が非常に重要な役割を果たしていたと言われているので4番目に。
そして女性の社会的な立場というのがこれらアイコンとファッションと連動しているのではないかと考え、最後のコラムとする。
年代 | 時代背景 | アイコン | ファッション | 媒体 | 女性の社会的地位 |
1900年 |
第一次世界大戦 (1914~18年) |
●ギブソン・ガール ●竹下夢二 |
●足首の見えるスカート(1911年) ●ブラジャーの誕生(1914年) |
VOGUE(1917年) | 大戦のための女性の社会進出 |
1920年 |
世界恐慌 (1929年) |
●クララ・ボウ(イット・ガール) |
●シャネルスーツの原型誕生(1928年) ●ショートスカートやスラックスの誕生 |
荘苑(1937年) |
●化粧の習慣普及 ●フラッパー、モダンガールの出現 |
1940年 |
第二次世界大戦 (1939~1945年) |
●マリリン・モンロー ●オードリー・ヘップバーン |
●ビキニの誕生(1946年) ●ディオールによる「ニュールック」(1947年) ●伊藤絹子がミス・ユニバースで3位に入選(1953年) |
ELLE(1945年) | ボーボワールの第二の性 |
1960年 |
●ケネディ当選(1961年) ●ベトナム戦争(1960~75年) |
●ブリジット・バルドー ●ツイッギー |
●ビートルズ ●ミニスカート |
●an・an(1970年) ●non-no(1971年) |
●ピルの解禁 ●ウーマンリブ |
1980年 | 局地的な戦争から世界的なテロへ |
●マドンナ ●安室奈美恵 |
●ボディコン ●へそ出し ●アムラー |
読者モデルの出現 | 男女雇用機会均等法(1985年) |
1900年代から20年までは第一次世界大戦が時代的な背景としてある。その時代のアイコンというのは、美人画が主役である。アメリカではギブソンという挿絵画家が描いたギブソンガールというものが美人の象徴として出回っていた。同時代に日本では竹下夢二がギブソンに相当する挿絵画家として、日本の美女のアイコンを描いていた。
その時のファッションの特徴はどうだったかというと、足首の見えるスカートである。19世紀までは身体は汚らわしいということで足首は見せなかったので、足首を見せるという事自体がセンセーションとなった。それからブラジャーが誕生したのが1914年。
媒体としては1892年に「VOGUE」が誕生している。それが20世紀にはファッションリーダーになり、その中に出てくる女性がアイコンになっていくという事が始まった。
社会的には第一次世界大戦で男手が取られ、女性が社会進出をせざるおえなくなり、女性の服装もズボンのような働き易いものへと変わって行く。
そして、20年代からの一つの出来事は世界恐慌である。そして第二次世界大戦が1939年に始まる。この第一次世界大戦と第二次世界大戦との間は20年という短い期間ではあったが、ファッション界では色々な変化が起こっていた。
まずアイコンとしての映画スターの登場。クララ・ボウがその走り。当時セックスアピールの女優をit(イット)と言う習わしがあったが、彼女はそのイットガールとして一世を風靡した。
ファッションとしては1928年にシャネルが隆盛期を迎える。シャネルがしたことはコルセットから女性を解放した、ということは良くご存知のはず。そしてスカートが短くなり、社会進出で働くためのスラックスというものが許されるようになってきた。
その時の媒体として、日本では「装苑」が出版されている。これは相当ファッションに影響があったと言われて。
この時期を特徴づけるものとしては、化粧の習慣普及とフラッパー、モダンガールの出現と言えるだろうか。
それからの20年は、第二次世界大戦が始まって終わり、戦後の繁栄期が続くという非常にめまぐるしい時期であった。
この時期のアイコンが、マリリン・モンローやオードリー・ヘップバーンという映画スターであった。この頃までは映画に声は入っておらず、モンローが初めて有声映画を受けた時には、声が悪いためオーディションに落ちてしまった。そこからは演技が出来て喋れる女優がアイコンになったということである。もう一つ言える事は、古典的な美女に加え、オードリー・ヘップバーンのような個性的な顔がだんだんもてはやされるようになってきた。
ファッションでは、1946年にビキニが誕生している。今となっては信じられないが、この時はモデルのなり手が無いので、ストリップガールをモデルにしたと伝わっている。それからクリスチャン・ディオールの有名なニュールック。そこでは、戦後の好景気ということもあり、シャネルが寸胴で楽にした流行りの服たちを、女性回帰ということで華やかなラインに戻した。また白と黒のコントラストも非常に人気があった。
さらにもう一つ、この時期にミスコンが始まっている。そして1953年にはミス・ユニバース第3位に伊藤絹子が選ばれて評判を呼び、八頭身という言葉が美女の基準として使われ始めた。
そして女性の社会地位と関連しては、ボーヴォワール著の「第二の性」が発表され、女性運動に繋がっていく。
その次が50年代から60年代の一番の繁栄期になっていく。世界情勢としては、ケネディがアメリカ大統領に当選し、新しい時代の幕開けを予告するのだが、やがて暗殺され、ベトナム戦争の泥沼がはじまる。
この頃の一つのアイコンはブリジット・バルドーとかツイッギーだろうか。
ちょうどビートルズもこの時代に誕生する。ビートルズの髪型は、今は皆見慣れているから何でもないと思うだろうが、この頃長髪というのは衝撃的であった。これは手術場でも問題になった。ビートルズにいかれた若い医師が増え、髪を切れ、切らないと手術場に入れないとか、騒動になったこともあった。この頃シカゴ大学の有名な外科の教授が新しい教科書を書いたときに、冒頭のチャプターで髪の事を触れていたのを思い出す。
「髪が長いのも短いのも個人の自由である。看護婦も髪が長いまま手術場で働いてきた。どうしても髪を長くしたいのであれば、看護婦のキャップを被せればいい。ただし、髪の毛だけでしか主張できないような個性に自分は価値を認めない」という手厳しい意見であった。
そしてファッションとしてはツイッギーと一緒にミニスカートが誕生する。
そしてその頃に日本には「an・an」と「non・no」が出版され、アンノン族が生まれたのはご承知の通り。
そして女性の社会的地位に関しては、ピルの解禁が特記事項だろう。今ひとつはそれとも関連する女性の人権運動、ウーマンリブである。その時の旗頭が女性解放家のベティ・フリーダンである。彼女の晩年の著作「老いの泉」は女性の老いと美しさを考える上で大変参考になる。
最後の20年は、テロの時代の始まりである。
アメリカではマドンナが誕生し、日本では安室奈美恵などがアイコン的存在となっていく。
ファッションもボディコン、いわゆる体の曲線を強調するボディコンシャスが流行り始める。へそ出しルックなんてものも一時あったが、今は消えしまい、もう流行らないようである。
そしてこの頃、「読者モデル」が出現したというのが、メディア(媒体)とアイコンとの関連において特筆すべき事項であろう。つまりこれで、アイコンが雲の上の存在から、隣のオネーチャンに降臨したからである。
ちなみに、僕はこの時期一番重要なのは、85年の「男女雇用機会均等法」だと思う。男女雇用機会均等法を作った女性世代と、その恩恵を受けている女性世代と、それからそれを全く意識していない世代の3世代に非常にギャップがあると聞いたからである。
なぜこういう事にこだわるかというと、アイコンの著しい変化で、アイコンが女神様のような女性から普通の女性に格下げしたわけである。それにメディアが一役も二役も買っている。
同時に頭から下へと世の関心が移り、身体を隠さなくなってきた。いや隠すことから積極的な露出へと移っていったわけである。
>>>『WHY?Anti-Ageing』バックナンバーはこちら
塩谷 信幸(しおや・のぶゆき) アンチエイジングネットワーク理事長、北里大学名誉教授、 ウィメンズヘルスクリニック東京名誉院長、創傷治癒センター理事長 現在、北里研究所病院美容医学センター、医療法人社団ウェルエイジングAACクリニック銀座において診療・研究に従事しているほか、日本形成外科学会名誉会員、日本美容外科学会名誉会員として形成外科、美容外科の発展に尽力するかたわら特定非営利活動法人 アンチエイジングネットワーク理事長、日本抗加齢医学会顧問としてアンチエイジングの啓蒙活動を行っている。 【著書】 |
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